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2016年9月3日 駿府城公園 駿府城天守台発掘現場 360度パノラマ写真 HDR

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写真: 2016年9月3日 駿府城公園 駿府城天守台発掘現場 360度パノラマ写真 HDR

写真: 駿府城天守台発掘調査 天守台南西部付近(1) 写真: 2015年8月21日 駿府城天守閣跡 360度パノラマ写真 HDR

駿府城は、今川氏の館が有った場所に徳川家康によって築城された。徳川家康は天正期に東海地方の五ヶ国を領有した際に、かつて今川氏に人質として暮らした駿府に入り、此処に城を築いた。その後1590年に家康は関東へ移封となり駿府を離れる。
それからのち、天下の覇者となった家康は江戸幕府を開き、1605年に将軍職を秀忠に譲ると駿府を隠居の地と定め、駿府城を大修築する。その後駿府は家康の死(1616年)までの間、江戸とともに日本の政治の中心地として栄える。
駿府城は家康の死後、徳川頼宜、忠長の二人が城主となるが、忠長の改易後は城主は置かれず幕府直轄地となった。そして度重なる火災、地震等により天守閣をはじめとする建築物は失われ、または規模を縮小した再建に留まるなどして、往時の姿は徐々に失われていく。
明治になり、駿府城は静岡市に払い下げられ公園となるが、1896年に歩兵第34連隊の誘致に伴い駿府城内は内濠が埋め立てられ、残っていた城郭施設も取り壊される。この際に天守台も撤去、埋め立てられた。
1946年に城地は再び静岡市に払い下げられ「駿府公園」として整備される。(現在の名称は「駿府城公園」)
2016年より天守台の発掘調査が行われている。現時点では天守台西面の石垣が姿を現している。発掘調査が終わり天守台の全貌が現れたとき、そこに日本最大の天守台が姿を現す。

この画像は360度パノラマムービーの原版としても使用しています。
パノラマムービーは次のURLページで見ることができます。


https://www.360cities.net/image/research-excavation-site-of-base-of-castle-tower-in-sunpu-castle

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