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柳生播磨守下屋敷跡(関口2丁目)

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写真: 柳生播磨守下屋敷跡(関口2丁目)

写真: 11.05.02.旧関口台町(関口2丁目)蓮華寺跡(廃寺) 写真: 目白坂(関口2丁目)新長谷寺 目白不動尊跡

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2013年10月18日 15:53

柳生播磨守――
・家祖 柳生久寿――
元禄9(1696)年〜天明元(1781)年。柳生久辰(村田十郎右衛門久辰)長男。
はじめは村田伊十郎(猪十郎)。通称 主水。官位 従五位下・播磨守。
旗本。剣術家。

宝永5(1708)年、5代綱吉に拝謁。のちの6代家宣の西の丸小姓となり、300石を賜わる。
宝永6(1709)年、家宣将軍就任に伴い、付属の小姓となる。
正徳2(1712)年、剣術の師である大和国柳生藩 柳生俊方より柳生姓を名乗ることを許された。
従五位下・播磨守叙任。
子孫は旗本となった。
長男 柳生久隆、次男 高尾孫兵衛信喜(800石)、3男 美濃部内膳茂孫(510石)。
後世、10代家治の剣術指南は播磨守家が務めている。

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